20070610
八瀬天満宮社
住所 京都市左京区八瀬秋元町
祭神 菅原道真
摂社

末社
秋元神社・八幡大神・幸ノ神・山王神社
八王子・十禪師大権現・若宮大明神
六所大権現・白井大明神・岩上神社
神徳 不明
由緒  創祀は不明。平安期の御霊信仰と関わりがあるとされる。社伝では、道真の師である比叡山法性坊の尊意が勧請したと伝えられる。境内は、叡山に登る八瀬坂の起点となっており、「菅公腰掛石」がある。八瀬坂は雲母坂とともに古くから開かれた登山道で、建武3年に後醍醐天皇が足利尊氏勢を避けて比叡山に登っている。境内裏手にはこの時の村民の活躍を刻む御所谷碑がある。
 天満宮境内の南側には秋元神社が祀られており、赦免地踊りで知られている。比叡山との境界争いで老中秋元喬知の裁許により八瀬村の利権が認められ、報恩のために村人が喬知を秋元大明神として祀った。境相論は宝永4年、日光准后の申し出により山門の結界が改められたことに端を発し、翌5年には八瀬の者は結界内に立ち入れないという裁決が幕府より出された。耕地が少なく薪商売を生業とする村人にとって山への立ち入り禁止は死活問題であり、老中秋元喬知に愁訴した。宝永7年、愁訴功を奏し、私領・寺領を上地して一村禁裏御料となり、年貢・諸役一切を免除するとの裁決が下された。その裁決に由来する赦免地踊は、中世の風流踊に念仏系統の燈篭が加わった踊りとして名高い。女装の青年の頭に八基の燈篭を灯し、八瀬の人々によって一夜の優雅な祭りが繰り広げられる。  
 歴史ある八瀬の里を見守る叡山麓に八瀬天満宮社の広い境内が広がる。
 鳥居横の石碑群。
 田の中を行く参道を歩き、本殿前の石段。
 水盤。
 社務所。
 本殿前の石碑群。
 社務所。
 流造に庇がつく本殿。
 本殿南側に建つ秋元神社。
 本殿北側の末社群。右から若宮大明神、六所大権現、白井大明神。
 秋元神社の前にある末社群。右に幸ノ神、左に八幡大神。
 境内南側の山王神社・八王子。
 境内南側の十禪師大権現。
 菅公腰掛石。
 吉野、後醍醐天皇遥拝所。
勝手にリンク なし
参考文献 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997
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