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八坂神社 |
住所 | 京都市東山区祇園町北側 | |
祭神 | 素戔嗚尊 | |
摂社 ・ 末社 |
疫神社 他 | |
神徳 | 厄除け |
由緒 | 斉明天皇2年(656)、高麗使節伊利之が新羅国牛頭山に座した素戔嗚尊を山城愛宕郡八坂郷に祀る。貞観11年(869)、国内に疫病が流行した際、神泉苑に神輿を送り、国の数66本の矛を立てて国家安寧と厄災消除を願い、祇園御霊会が行われる。 貞観18年(876)、南都の僧・円如がお堂を建立し、薬師如来を安置する。また、天神が祇園林に降り立つ。元慶元年(877)、疫病が流行した際、「東山の小祠」の祟りと占いに出て、調子を派遣してに祈りが捧げられると、流行が止んだ。藤原基経邸は、自分の邸宅を寄進、感神院の精舎とした。 長徳元年(995)、王城鎮護の社として二十一社のうちの一社となる。延久4年(1072)、後三条天皇が行幸される。 慶応4年(1868)、「祇園社」「祇園感神院」と称されていたが、明治政府の神仏分離令により「八坂神社」に改名。それまでは八坂神社にも社僧がおり、境内には薬師堂や鐘楼があった。古くは興福寺や比叡山延暦寺の末寺であり、元亀2年(1571)、織田信長による比叡山焼き討ちににより独立し、独自の祇園信仰に繋がる。 本殿は「祇園造」と称し、本殿と拝殿を一つ屋根で覆い、その周囲に又庇を伸ばして小部屋を配し、社殿建築として最大の床面積を有する。 明治4年(1872)、官幣中社に列格し、大正4年(1915)に官幣大社に昇格する。令和2年(2020)、本殿が国宝に指定される。 (参考:八坂神社)
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南楼門。 | ||
水盤舎。 | ||
拝殿。 | ||
本殿。 | ||
疫神社。 | ||
忠盛燈籠。白河法皇が祇園女御の許へ赴く際、鬼を見た。法皇が打ち取るように平忠盛に命じたが、忠盛が正体を見定め生け捕りにすると燈明を灯す社僧であった。この燈籠はその時のものと謂れている。 | ||
西楼門。 |
リンク | 八坂神社 | |
参考文献 | なし |
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