20090412
宇賀神社
住所 京都市南区東九条東札ノ辻町
祭神 宇賀之御魂神・天照大神宮
摂社

末社
なし
神徳 五穀豊穣
由緒 創祀は上明。古くは宇賀塚と呼ばれていた所で、『山城吊跡志』には、「宇賀塚は九条の南、東洞院の東、宇賀辻にあり。土人云う、判官塚の一町ばかり南なり《と記されている。
 『陶原月輪両塊門図』には、藤原鎌足が月輪のあたりを遊猟中に金璽を得、後世都が遷されて我が子孫が繁栄することを予知し、その金璽を埋めて塚としたのが宇賀塚であると記される。
 『石井三家系図』では、宇賀塚を築いたのは真人大連であり、鎌足の祖とされる。『九条家相承事』には、真人大連が「高皇産霊命《の神璽を見つけて卜筮すると、「神璽を埋めれば7代後に「神明《が生まれて姓を改め、その5代後に都が遷され、その3代後に日月に天子が降化し青女と成り、子葉は日に成り出て孫は花月に興り栄えん《と宣された。神明は大織冠鎌足のことであり、天智天皇に藤原を賜った事に由来し、青女は染殿ノ后明子のことであり、東九条荘は明子領として始まったことに由来する。また、神璽を埋めた場所は成興寺の阿閦院とされ、藤原信長の九条殿に端を発し、現在では城興寺として存続する。
 御霊・烏丸・札辻のそれぞれの集落で産土神を祀っており、宇賀神社は札辻の産土神であったが、槙村知事の辻堂廃止令により宇賀神社が東九条村の産土神となった。境内には雷が石になったとされる雷石があり、樹齢500年を越える椋・銀杏の巨木がある。
 東九条の住宅街。札の辻通から北へ向かって宇賀神社の境内が開ける。
 水盤舎。
 拝殿。
 一段高い位置に本殿。垣内に雷石が祀られる。
 銀杏の巨木。
勝手にリンク 城興寺
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参考文献 なし
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