20110417 | |
豊國神社 |
住所 | 京都市東山区茶屋町 | |
祭神 | 豊國大明神 | |
摂社 ・ 末社 |
貞照神社 北政所 槇本稲荷社 槇本大明神 | |
神徳 | 不明 |
由緒 | 明治13年の創祀。慶長3年に63歳で亡くなった豊臣秀吉を祀る。死後、後陽成天皇より正一位の神階と豊国大明神の神号を賜り、遺骸は遺命により阿弥陀ヶ峰の中腹に葬られた。阿弥陀ヶ峰の麓には、廟社が造営され、豊国祭礼図屏風にその偉観が残されている。しかし、豊臣氏滅亡後、廟社は徳川幕府により取り壊された。 明治維新後、明治天皇より祠宇造営の沙汰があり、大阪城外に造営の計画がなされた。しかし、京都市民の熱願により、明治8年、現在の地に造営されることになった。 |
正面通の東端、国立博物館の北側に豊國神社の広大な境内が広がる。 | ||
立派な水盤舎。 | ||
国宝の唐門。 伏見城の遺構とされ、二条城、金地院を経てここに移築された。 西本願寺・大徳寺と並び、国宝三唐門の一つとされている。 | ||
唐門の奥には不入の神域が広がり、拝殿が配置される。 その奥には巨大な本殿と、北政所を祀る貞照神社がある。 | ||
唐門の北側にある槇本稲荷社。 | ||
槇本稲荷社の覆屋。中に稲荷社が祀られる。 | ||
豊國神社の西側にある耳塚。 文禄・慶長の役で朝鮮軍の首級として耳を塩漬けとして持ち帰った。 秀吉はそれをこの地に埋め、供養の儀式を行い、塚と五輪塔が建てられた。 |
勝手にリンク | なし | |
参考文献 | なし |
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