20061009
改定 20070630
道風神社
住所 京都市北区杉阪南谷
祭神 小野道風
摂社

末社
明王堂
神徳 書道上達
由緒  延喜20年の創祀。「道風武大明神」「瀑ノ社『雍州府志』」「武宮『山州名跡志』」ともいい、かつて当地にあった滝にちなむと伝えられる。社宝の慶安5年、元禄4年の鰐口二個に「滝大明神」と刻まれている。『明王寺記録』によれば社地はもともと下方にあった明王寺所管で、今でも境内にある明王堂に不動明王を祀っている。廃絶の時期は不詳だが、「不動明王画像一幅」「両界曼荼羅ニ幅」が遺品として伝えられている。
 書道の歴史は古いが、道風は書道の巨擘能筆家で殊に草書は堪能であり、平安中期の三蹟の一人である。道風が杉坂産土神和香社より湧き出す霊水を所望し、宮僧の宿舎であった明王寺に業を修め、栄達の結縁により氏神に祀られた。人々は道風の筆法にならってこの水で研滴し、この名水をたたえる和香水碑が建てられている。遺品には唐鏡、硯、唐筆、硯屏、卦算等があり、他に後水尾院御点作朗詠集・霊元法皇御寄附菊御紋附幕及提灯・道風宮雑録・道風朝臣画像などが社宝として保存されている。道風は醍醐・朱雀、村上の三朝に歴侍し、正四位下内蔵権頭に陞敍され、三十六歳より七回紫宸殿賢聖の障子を書き、三十九歳、五十三歳の二度、大嘗会之宝祚画図屏風に揮毫した。また願文宮門殿舎の額等に筆し、名を広めた。
(参考:京都・山城寺院神社大事典)
 杉坂集落の京都よりに道風神社が鎮座する。
 綺麗に刈り揃えられた下草の中をなだらかな参道が登っていく。
 境内入り口に棟門。奥には明王堂が北面する。
 舞台。
 紫色の幕で飾られた本殿。下方の台の上におみくじ。
 方一間宝形造の明王堂。
 和香水碑文
 杉坂の峰より霊泉が湧き出した。これこそ、神がここに臨まれてその高い徳をほどこされたのである。これによって、ひでりをおさえ、そこで泉のうねりをうねうねと、いつまでもうねらせて千年の後にまで及んでもその恩沢はながながとつづいている。
 諸侯がこの水をくんで、うやうやしく、又ほしいままにしているかいくらくんでもつきることがなく、万億年さらにその十倍の年までもつきることがないだろう。
 本殿下にあった水盤舎。湧き出ているように思われなかったが、いつも水を湛えているこの水盤が今の和香水か。
 積翠池
 この水を汲んで硯の水に用いると書道が上達すると云われている。
 あまり綺麗ではなく、底の方にとろとろと水を湛える。
リンク なし
参考文献 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997
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