20061222
土佐稲荷・岬神社
住所 京都市下京区備前島町
祭神 倉稻魂神・石栄神
摂社

末社
なし
神徳 諸業繁栄・火難除け・土木建築
由緒  貞和4年以前、鴨川は河原が広く西寄りに中の嶋があった。ここに備前国西大寺村の新右衛門が移り住み、嶋の岬に祠を建てて岬神社と称したことを創祀とする。鎮座にあたり、「吾を信ずるものは諸業繁栄福利を与へ、火難を免れしめ、土工建築修工を守護し、一切の災厄を免れしめん」との神託がり、福狐1万個を参詣人に頒けたと伝えられている。
 その後、鴨川の西岸に遷され、慶長の年に境内地が土佐藩京屋敷となる。遷座されるとき、倉稲魂命・石栄神の2座を祭神としたため、通称土佐稲荷・岬神社と称された。屋敷内の人々はもちろん、坂本竜馬等もこの神社を崇め、町衆にも屋敷内の通り抜け参拝を許していた。明治18年、土佐藩京屋敷が売却されると聞き、氏子の有志等祭典永続法を設定し、私祭継続の認可を得て下大阪町に無格社として復興した。その後、備前島町の近江屋が元土佐藩用人邸を買い取り、明治二十年に今の場所に遷座した。大正二年には近隣の信徒が募金を行い大規模な造営をし今の社殿が建立された。
 河原町と木屋町の間、立誠小学校の北側に土佐稲荷・岬神社がある。
 水盤舎。枯れて久しい。
 ガラス戸の覆屋の中に納まる本殿。
勝手にリンク 神詣
参考文献 なし
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