20070120
水火天満宮
住所 京都市上京区扇町
祭神 菅原道真
摂社

末社
六玉稲荷大明神・秋葉大神
他祭神不明の3末社
神徳 水火天満宮
 雨雷火災難除け
登天石
 迷子が無事に帰るように
出世石
 出世祈願
金龍水
 眼病快癒
玉子石
 五ヶ月目で安産祈願
六玉稲荷大明神
 人材確保・就職祈願
由緒  延長元年6月25日、醍醐天皇の勅願により、一条上る下り松の霊地に菅原道真を勧請した。悲田院の鎮守社であった社が菅公信仰と結びついたとの説も伝わる。文明4年、後土御門天皇が行幸して和歌の会を開いた時、天神名号の震筆を下賜した。
 境内に『登天石』と呼ばれる奇岩があり、菅公伝説に由来する。延喜3年、菅原道真が太宰府の地で亡くなった後、都では雷火の厄が多く、菅公の怨霊によるものだと不安が高まった。醍醐天皇は延暦寺の法性坊尊意に祈祷を依頼し、勅命を受けた尊意は急いで御所へ向かい、鴨川に差し掛かった。しかし、急に水嵩が増え、尊意は渡れなくなってしまったが、神剣を一振りすると水面が二つに割れた。その川中に一つの岩が現れ、その上から菅公が昇天し、雷雨の災も止んだという。
 他に、境内には「孝学堂跡」と刻した石柱と、「是より洛中荷馬口付のもの乗へからす」と記した石標がある。孝学堂とは、江戸時代に水火天満宮宮司孝道が境内に興した学問塾のこと。「是より洛中荷馬口付のもの乗へからす」とは、元禄8年、都の市街地の安全のため、京の出入り口に設置されたものであり、「馬に乗ったものは降りて口取りが手綱を引いて歩くようにすること」という意味である。  昭和27年、堀川通拡張工事に伴い、堀川通を挟んだ西側の上天神町から扇町に遷座した。  
 堀川通に面して、水火天満宮の控えめな境内が広がる。西から入り、本殿は南面する。
 梅の紋が入った水盤舎。
 拝殿とその奥に本殿。
 出世石。
 菅原道真が降臨したといわれる登天石。迷子が無事に帰れるように。
 金龍水。眼病に効く。
 一番上に鎮座する丸石は玉子石と呼ばれ、妊娠五ヶ月目に祈ると安産すると言われている。
 境内南東の六玉稲荷大明神。人材確保、就職祈願。
 境内東側にある秋葉大神。
 境内東側にある祭神不明の末社。
 境内東側にある祭神不明の末社。
 境内東側にある祭神不明の末社。重軽石か。
勝手にリンク わたしの青秀庵
神詣
参考文献 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997
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