20160925
下御霊神社
住所 京都市中京区下御霊前町
祭神 本殿八座
 吉備聖霊・崇道天皇・伊豫親王
 藤原大夫人(藤原吉子)
 藤大夫(藤原廣嗣)・橘大夫(橘逸勢)
 文大夫(文屋宮田麻呂)・火雷天神
相殿
 霊元天皇
摂社

末社
神明社・八幡社・春日社
猿田彦社(相殿:垂加社・柿本歌聖)
稲荷社・天満宮社
宗像社・五社相殿社
神徳 疫病除け
由緒  創祀は不明。貞観5年、神泉苑で行われた御霊会で、崇道天皇、伊予親王、藤原吉子、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麻呂の六座に吉備聖霊と火雷天神を加え、八所御霊として出雲路の地に祀ったのが始まりとされる。疫病流行や天変地異は無実の罪で非業の死を遂げた怨霊がもたらすものとし、鎮めるために祀られたものと考えられる。
 当初は愛宕郡出雲郷の下出雲寺の境内にあり、上御霊神社の南にあったことから、下御霊神社と呼ばれた。その後、新町出水の西に移り、天正18年に現在地に移転した。
 古来皇居の産土神として崇敬され、享保8年と13年に霊元天皇が当社に行幸した。本殿は寛政2年、仮皇居の内侍所を移築したもので、表門は旧建礼門といわれている。  
(参考:下御霊神社 駒札:京都市)
 寺町丸太町を下がった東側に、下御霊神社がある。
 天明の大火後に造営された仮皇居の建礼門を移築したもの。
 水盤舎。
 拝殿。
 本殿。寛政2年、仮皇居の内侍所を移築。
 土蔵。
 神明社・八幡社・春日社。
 猿田彦社(相殿:垂加社・柿本歌聖)。
 稲荷社。
 天満宮社。
 宗像社。
 五社相殿大黒社。
 五社相殿四社。
リンク 下御霊神社
参考文献 なし
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