20080420 | |
島原住吉神社 |
住所 | 京都市下京区西新屋敷下之町 | |
祭神 | 住吉大明神 | |
摂社 ・ 末社 |
幸天満宮 | |
神徳 | 良縁祈願 |
由緒 | 創祀は不明。もともと島原中堂寺町の住吉屋太兵衛の自宅において祀られていた住吉大明神が、霊験あらたかにして良縁のご利益があり、参詣者が夥しいため、享保17年、島原の西北に遷座して社を建立した。南は島原中央の道筋から北は島原の北端にまで及んだという。爾来島原の鎮守として崇められ、例祭とともに、太夫・芸妓などの仮装行列である「練りもの」が盛大に行われた。 明治の廃仏毀釈の際に、神社株を持たないことから廃社となり、祭神を歌舞練場内に祀ることになった。明治36年、船井郡本梅村から無格稲荷社の社株を譲り受け再興したが、境内地は往時を偲ぶよすがもなく、社名も住吉神社とは認められず稲荷神社とされた。平成11年、社殿・拝殿を改修し、平成13年、社名を島原住吉神社と旧に復した。 境内社である幸天満宮は、揚屋町の会所に天神の祠があったものを、享保19年に遷座したものである。延享5年より、筑紫太宰府天満宮にならい、鷽替の神事が営まれるようになった。それは、色紙、短冊などを持ち寄り、「鷽を替えん」と言いつつ取り交わすという甚だ興あるもので、諸客の見物で賑わったというが、明治以降は完全に廃れてしまった。 |
島原花街の北西角に島原住吉神社の小さな境内がある。 | ||
水盤。柄杓は常備。 | ||
拝殿とその奥に本殿。 | ||
末社である幸天満宮。 |
勝手にリンク | なし | |
参考文献 | なし |
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