20080706 | |
志古淵神社 |
住所 | 京都市左京区久多中ノ町 | |
祭神 | 志古淵神 | |
摂社 ・ 末社 |
若宮社・山神社 祭神不明の末社が1柱。 | |
神徳 | 筏流し安全祈願 |
由緒 | 創祀は不明。一説に延暦12年の建立とする。久多の産土神の1柱で、安曇川流域に分布を見る思古淵神を祭神とする。 天福元年、『久多荘田代注進状』に社領や料田の記述が見え、志古淵神社所蔵の棟札からも天福年間には社殿を構えていたことが分かる。文和5年、久多荘と葛川との鎌鞍峰をめぐる境相論では、久多荘が『信興淵明神所被戴縁起』を資料として主張され、志古淵神社創祀を伝える縁起が存在していたことが知られる。『山城名跡巡行志』には神祠が「河合」と「宮谷」に二ヶ所あったことを記しているが、現在は一ヶ所になっている。 文安2年に大修復が行われ、寛文12年にも新たに造営されている。本殿は当初はこけら葺であったが、現在は杉皮葺で、三間社流造である。蟇股などに古式を残し、昭和59年に京都市指定有形文化財に指定された。 志古淵神社には宮座があり、世襲制の本座と中座、またそれぞれ左右の座に分かれていた。19歳で烏帽子着として入座し、宮使・大人・正冠・神殿と進む。この宮座は本殿前の仮屋で寄合をし、祭礼から神社、村政を決定していた。 毎年8月には久多花笠踊が行われ、五穀豊穣を感謝して風流の燈篭踊が奉納される。久多の五つの集落では、上の組と下の組に別れ、花笠を作る花宿を定める。花笠は六角形の笠に四角の行灯をのせ、透かしと精巧な造花を飾り作り上げられる。あやめ・朝顔・ダリヤ・薔薇などの造花を和紙で作り、菊は「ハシマメ」と呼ばれる植物の茎の芯を使う。 花笠踊の日には男たちが花宿に集まり、行灯に火を灯して上の宮神社に集まる。上の宮神社では「神殿」が花笠を社殿に供えて踊りを奉納する。大川神社でも同様に奉納し、志古淵神社へ向かう。志古淵神社では、花笠を供えた後に「より棒」と呼ばれる者が棒を打ち合い、清めの祓いをする。踊りは締太鼓のみを楽器とし、室町小唄を偲ばせる歌にあわせ、花笠を持って上と下の組が交互に掛け合うように踊る。曲目には「道行」「唐船」などが伝承されているが、花笠踊本には130余りの歌詞が残されている。中世に流行した風流の灯篭踊が伝えられ、平成9年、重要無形文化財に指定されている。 |
京都の山里、久多の中ノ町に志古淵神社の趣のある社殿が並び立つ。 | ||
境内の建物。 | ||
白い手拭のかかる水盤舎には榊が生える。 | ||
境内中央にある拝殿。 | ||
三間社流造の本殿。 | ||
本殿左側の末社。若宮社か山神社。 | ||
本殿右側の末社。若宮社か山神社。 | ||
本殿裏の境内から外を向く末社。 |
勝手にリンク | カッパ研究会 京都市文化観光資源保護財団 | |
参考文献 | 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997 |
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