20170911
敷地神社
住所 京都市北区衣笠天神森町
祭神 木花開耶姫命
摂社

末社
 綾杉明神・大山祇神社
六勝神社・八幡神社
神徳 子授け・安産・子どもの成長
由緒  創祀は不明。北山を神格化した神を起源と伝えられる。天長5年、大雨・大地震の際に淳和天皇が北山の神に幣帛を賜われたと「類聚国史」に記載されており、それ以前の創建と推定される。
 天長8年、氷室が設けられることになった。加賀からの夫役の人々が菅生石部神社の分霊を勧請し、その母神である木花咲耶姫命を北山神のとともに祀った。
 応永4年、足利義満による北山第の造営にあたり、参拝不便となったことから、両神を合祀し、現在地に遷座し、社号を菅生石部神の通称である敷地神社とした。現在地に遷座後は「天神宮」とも称した。
 その後応仁の乱等で荒廃したが、弘化4年に大改修し、昭和10年に改修した。
 また、神饌を入れた稲藁で編んだ籠から抜け落ちた藁を、妊婦が安産のお守りとして持ち帰るようになったことから、「わら天神宮」との名称が広がり定着した。  
(参考:駒札/わら天神)
 西大路通に面して、敷地神社の境内がある。
 参道を進むと北向きに曲がる。
 二つ目の鳥居。
 水盤舎。
 授与所。主に「わら」を配布している。
 拝殿。
 拝所。
 綾杉明神。樹齢千数百年の神木。「拾遺和歌集」に清原元輔の綾杉の和歌が採録されている。明治29年、暴風により倒壊。
 大山祇神社。海上・農業・鉱山の守護。大山祇神は木花開耶姫命の父。
 六勝神社。伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日の6柱を祀る。。必勝・合格・商売繁盛の神。貞観元年創祀。その後西園寺家の鎮守。明治6年、敷地神社境内に遷座。
 八幡神社。明治40年、衣笠氷室町より遷座。
リンク わら天神
参考文献 なし
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