20061109 | |
赤山禅院 |
住所 | 京都市左京区修学院開根坊町 | |
祭神 | 赤山明神 = 泰山府君 | |
摂社 ・ 末社 |
本地堂・弁財天・稲荷社・福禄寿堂 金神社・八幡大菩薩・天照皇大宮 春日大明神・十禅師権現・住吉大明神 新羅大明神・賀茂大明神・平野大明神 西宮大明神・松尾大明神・歓喜天 相生社・御滝堂・薬師堂・雲母不動堂 祭神不明の社が一柱 | |
神徳 | 方除け・商売繁盛・集金の神 数珠供養・ぜんそく封じ 相生社:良縁祈願 |
由緒 | 創建は、仁和四年、天台座主安慧が師の慈覚大師円仁の遺命により、大納言南淵年名の小野山荘跡地に天台宗の寺院を開いたことによる。本尊の赤山明神は、慈覚大師円仁が入唐し、赤山の清凉山で引接念仏を習っているときに示現し、日本までともに移ることを約束した。円仁が入唐求法の旅を終え、日本に戻る途中に2度も暴風雨にあったが、赤山明神の守護により無事帰国できた。円仁は生前に赤山明神を祭祀できなかったことに心を残し、高弟の安慧僧都に遺命して鎮護国家の守護寺として創建する。 後水尾上皇の修学院離宮御幸の際は、社殿の修築及び、赤山大明神の勅願を賜った。『吾妻鏡』によれば、後鳥羽上皇の病気平癒祈願のために、前陰陽博士道昌が赤山社で泰山府君を修したところ翌日平癒したとある。明治18年、延暦寺直轄となり、境内も整備された。御神体は、毘沙門天に似た武将を象る神像で延命富貴の神とされ、赤山禅院の位置は京都の表鬼門にあたり、方除けの神として人々の崇敬を集めている。また、一年のなかで申の日の5日に参拝すると吉運に恵まれると言われ、五日講に商売繁盛を願い参詣すると懸取りの集金がよくでき、俗に五十日払いといわれている商習慣ができたと伝えられている。 慈覚大師の高弟である建立大師相応が始めた比叡山千日回峰行では、千日中の百日の間、比叡山の山上をめぐる回峰に加えて、雲母坂の行者道を往復し、赤山明神へ供華を奉ずる「赤山苦行」と称する練行がある。また赤山禅院は京都市内を廻る大廻りや切廻りなどの「回峰行門」の要にあたる重要な場所とされている。また、東坂本の山王権現に対し雲母坂の辺りは西坂本と呼ばれ、比叡山の東西から台宗を護法衛護する神とされた。 赤山明神と泰山府君は同一の神とされ、泰山府君とは中国の聖なる五岳の一つ東岳の泰山にすむ東岳大帝の別名である。東岳大帝とは道教の神で、東方は万物を生成する気があると云われ、人間の貴賤高下の区別や生死の時期を司ると考えられている。赤山の一角には紅門石という赤みがかった場所があり、その中に財神がいるとの伝承から、商売の神ともされる。漢の武帝が泰山で太一神と同じ礼式で封の祭りを行ったので、太一神と同一とも見なされている。 |
修学院離宮の北方、比叡山の懐に抱かれるように赤山禅院の杜が佇んでいる。 | ||
境内入り口の棟門。これより参道が続く。 | 拝殿前の階段を上がったところにある水盤舎。 | |
入母屋造の拝殿。 | 拝殿の屋根にいる猿。檻に入っているのは猿が逃げないため。 | |
本地堂。地蔵堂。 | ||
正念珠。正念誦は真言密教の修法の中で最も重要な妙観であり、種々の邪念を去り「我と本尊は一体なり」と観想しつつ、手に珠数を繰りながら一心に真言呪を念誦すれば、本尊と互いに感応・相応して一体となり、まことの心眼を開くことが出来るといわれる。 | 三間流造の本殿。一間の向拝がつく。 | |
十六羅漢。三十三観音。 | 出世弁財天。 | |
本殿裏、谷を挟んで在る祭神不明の社。 | 本殿裏、谷を挟んで在る稲荷社。 | |
「都七福神」の一つである福禄寿殿。 ゑびす神 ゑびす神社 大黒天 松ヶ崎大黒天 毘沙門天 東寺 弁財天 六波羅蜜寺 福禄寿 赤山禅院 寿老神 革堂 布袋尊 万福寺 | 境内の東、金神社へ続く参道。 | |
金神社。 | ||
八幡大菩薩・天照皇大宮・春日大明神を祀る末社。 |
右から十禅師権現・住吉大明神・新羅大明神・賀茂大明神・平野大明神・西宮大明神・松尾大明神を祀る末社群。 新羅大明神は延長二年に園城寺から勧請された古社。 | |
夫婦和合の歓喜天。 | 縁結びの神。鴛鴦夫婦の相生社。 | |
薬師堂。 | ||
心身を清める御滝堂。 | 御滝堂の裏に在る打たせ滝。 | |
不動堂の脇にある古い消防ポンプ車。 | もともと雲母坂にあったといわれる不動堂。 | 還珠法。正念誦を終えて、手に持つ珠数に対し、仏の如く敬い、さらに正念誦の功徳をあらゆる衆生に回向するための作法。 |
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参考文献 | 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997 |
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