20090526 | |
清和天皇社 |
住所 | 京都市右京区嵯峨水尾宮ノ脇町 | |
祭神 | 清和天皇 摂社 四所神社 建御賀豆智命・伊波比主命 天之子八根命・ 比賣大神 | |
末社 | 上神社・蛭子社・山神社・八幡社 大神宮・春日社・大國社・十羅社・神明社 稲荷社 | |
神徳 | 不明 |
由緒 | 創祀は不明。水尾の産土神であり、清和天皇を祀る。清和天皇は文徳天皇の第4皇子で、外祖父藤原良房の後見のもと、惟喬親王を退けて皇太子となる。天安2年、文徳天皇の崩御を受け9歳で即位したが、良房が実権を握った。 貞観18年、第一皇子である貞明親王に譲位し、元慶3年、出家して畿内巡幸の旅へ出た。丹波国水尾の地に入り、隠棲の地と定め新しい仏堂を建立しようとしたが、完成を待たずして源融の別邸棲霞観にて病を発し、粟田の円覚寺で崩御した。遺骨は遺言により水尾山上に葬られ、現在は清和天皇水尾山陵となる。 里人は社を建てて清和天皇を祭神とし、水尾の産土神である四所大神を合祀したと伝える。四所神社は生母染殿皇后が信仰していた大原野神社の祭神であり、皇后が皇子の出産を祈願している。天皇はそれを偲び、水尾内庭に四所大神を祀り、水尾の最初の産土神として里人から崇められていた。 清和天皇社には神輿一基あり、伝説では、都の皇女が丹波国北桑田郡弓削村に猪や鹿の害があると聞き、水尾までは輿で来て、水尾からは駕籠に乗り換えて弓削村に行き、村に多数の矢を作らせて害獣を退治した。水尾では残された輿を台にして神輿にしたと伝わっている。 旧暦4月に祭礼があり、宮座の古老と職事役、氏子総代、戸主一同が参詣して神輿を飾り、水尾の若者によって寺内の御旅所に遷御した。古老の周りを花笠をつけた男児が摺り簓を鳴らして回る素朴な花笠踊りがあったが、現在は廃れて久しい。 |
水尾集落の中ほど、円覚寺のとなりに清和天皇社への鳥居がある。 周囲は老人ホームの憩いの場となっている。 | ||
階段を登っていくと正面に拝殿。 | ||
拝殿。左側は板間になっている。 | ||
本殿覆屋。二棟あり、本殿と四所神社と思われる。 | ||
末社。上神社・蛭子社・山神社・八幡社。 | ||
末社。大神宮・春日社・大國社・十羅社・神明社 | ||
末社。稲荷社。 |
勝手にリンク | WIKIPEDIA | |
参考文献 | 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997 |
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