20061115 | |
鷺森神社 |
住所 | 京都市左京区修学院宮ノ脇町 | |
祭神 | 素盞鳴命 神名:髭咫天王 | |
摂社 ・ 末社 |
天照皇太神宮・熊野皇太神 住吉大明神・八幡太神 豊稲荷神社 | |
神徳 | 家内安全・旅行安全・厄除け |
由緒 | 比叡山麓七里である、一乗寺・薮里・豊楽寺・修学寺・山端・高野・大原の産土神の一柱で、「修学寺ノ天王」とも称され、本来は牛頭天王を祀っていた。創祀は貞観の時。神使である鷺がこの森に群集していたことから鷺森と名付いた。初めは赤山禅院の附近に祀られていたが、応仁の乱に罹災し、修学院離宮の山林内に移された。さらに離宮造営に伴い、霊元天王の意向により、元禄2年、曼殊院西方の現社地に遷座した。 鷺森神社は、比叡山へ登る雲母坂の道筋にあたり、慈円は「比叡の山は 冬こそいとど 寂しけれ 雪の色なる 鷺の杜より」と詠み、霊元天王は「をりゐるも 所からなる さぎのもり 問はでもおのが 名のるはかりに」と詠んだ。『太平記』に「去程に、官軍宵より西坂を下りて、八瀬・藪里・鷺森・降松に陣を取る。諸大将は皆一手に成りて、二条河原へ押寄て」とあり、『東北歴覧之記』にも、多賀豊後守高忠が如意ヶ嶽に出陣した際、鷺森が封鎖されたあり、比叡山と洛中を結ぶ要所となっている。 神幸祭では、行装を整え赤山禅院に参詣し、御旅所から神輿を供奉し、小学3年生男児が鉦や太鼓の囃しにつれて、菅笠に紅襷の着物姿で「サンヨレ」と掛声と所作をもって氏子区域を巡幸する。 |
曼殊院の西、修学院の只中に、広大な鷺ノ杜が広がる。 | ||
立派な入母屋造の水盤舎。 | 社務所。 | |
境内東側の建物。絵馬堂か休憩所か。 | 境内中心の舞台。 | |
拝所。奥に一間社流造の本殿。 | ||
南側参道から。 | 修学院離宮正面入り口の音羽川に架設されていた御幸橋。 | |
左は住吉社。右は八幡社。 | 左は熊野社。右は天照皇太社。 | |
境内南方の森の中にある豊稲荷。 | ||
境内南方の森の中にある旧社殿地。 |
勝手にリンク | 神詣 | |
参考文献 | 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997 |
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