20080909 | |
若一神社 |
住所 | 京都市下京区七条御所ノ内本町 | |
祭神 | 若一王子 開運出世 | |
摂社 ・ 末社 |
寿命社 高砂尉と姥 夫婦円満・子孫繁栄・延命長寿 天正年間、高砂神社より勧請 弁財天社 市杵島姫命 芸能・音楽・福運 正徳5年、竹生島より勧請 松尾社 松尾大神 醸造満足 稲荷社 稲荷大神 商売繁盛・生業繁栄 伏見稲荷大社より勧請 祖霊社 神職・総代・世話役等の御霊 報恩感謝・遺族の守護繁栄 昭和58年、建立 |
由緒 | 創祀は宝亀3年。唐の国から来た威光上人は天王寺に住んでいたが、迷い苦しみ人々を救おうと、熊野詣の折に若一王子の神体を笈に背負い、旅を続けてこの地までやって来た。その頃には森の中に古い御堂があり、そこで一夜を明かし、神意に従って堂中に神体を安置し奉斎したものを始めとする。 その後、異変があり、神体は土の中に埋もれてしまっていた。平清盛が六波羅にいた頃、この地は浅水の森と呼ばれ、風光明媚な処であった。清盛はこの地に別邸を建て、西八条御所と称した。仁安元年、清盛が熊野詣に行った際、土の中に埋もれている神体を世に出して奉斎せよとの神告があった。清盛が帰京して邸内を探すと、築山から光が漏れ出ており、三尺ばかり掘ると土の中から若一王子の神体が現れた。 清盛は社を造り、開運出世を祈ったところ、翌年に太政大臣に任ぜられた。社前の楠は、平清盛お手植えと伝えられている。 |
西大路を七条から下がっていくと、こんもりとした楠が路上に陰をさしている。 若一神社はその楠を神木とし、樹の下に社殿をかまえている。 | ||
水盤舎。 | ||
拝殿。 | ||
入口近くに寿命社。 | ||
左に松尾社。右に弁財天社。中は祭神不明。 もともとは、中が弁財天社で、右が寿命社であった。 | ||
左に祖霊社。右に福徳稲荷社。 | ||
神木の下にある楠社。 | ||
平清盛の像。 |
勝手にリンク | 京都府神社庁 神詣 | |
参考文献 | なし |
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