20061204
鵺大明神
住所 京都市上京区主税町
祭神 鵺大明神・玉姫大明神・朝日大明神
摂社

末社
なし
神徳 不明
由緒  創祀は不明。式内・宮中神である大宮賣神の論考社。昭和の二条公園造営の時、小祠が建てられた。
 『平家物語』によると、仁平の時、毎晩丑の刻に、東三条の森から黒雲が現れ内裏を覆った。すると近衛天皇が異様に怯えて苦悶しだす。名僧が祈祷を修めたが験はない。そこで源頼政が選ばれて警護についた。頼政は黒雲に目を凝らし、妖しいものを「南無八幡大菩薩」と念じながら矢で射った。手応えとともにその怪しいものが落ち、火を灯してそれを見ると、頭は猿、体は狸、尾は蛇、手足は虎の姿という異形の妖怪が死していた。これを鵺と言う。その時、鵺を射た矢を洗ったのが鵺池とされる。トラツグミは森の中で夜中に細い声で鳴くことから鵺鳥と呼ばれ、この異形の妖怪もトラツグミに似た声で鳴くことから鵺と名付けられたという。

鵺池碑
  北側
 我源朝臣松平紀伊君在京之日家臣太田毎資亦来居焉其宅後有
 一池日鵺池俗伝以為頼政卿嘗滌射鵺鏃之地矣今毎資者道潅七
 世之孫而頼政卿遠裔也故聞斯事喜適居其地且懼其就泯減因使
 予録其事上石鳴呼追遠之心不亦美乎遂書銘曰
 怪鳥当射 志不可敵 休矣邦彦 其声大逖
 元禄庚辰三月望日 松崎正祐記

  南側
 此地古来称鵺池池辺有碑詳誌其伝説而及徳川氏執政柄地属所
 司代之邸内以故当時所刊行名所誌之類或憚而不記焉維新之初
 就邸址而置監獄猶用意於保存但碑石則風餐雨虐文字漸磨滅後
 撤獄舎昭和九年新設二条公園之此至不可復読有志以為恨也偶
 有元看守長青山咸懐氏在職之間手記原文両者相対照而主文始
 歴如恨事乃除矣於是有志相謀更選碑石刻之以伝後世云爾
 昭和十一年三月望日 出水学区建碑有志
 二条城の北側、二条公園の北の隅に鵺大明神の小祠が鎮座する。境内には鵺池碑があり、南側には鵺池が整備されている。
 鵺池碑北側。
 鵺池碑南側
 鵺池。
勝手にリンク フィールド・ミュージアム京都
呪術祭都
参考文献 なし
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