20061106 | |
長谷八幡社 |
住所 | 京都市左京区岩倉長谷町 | |
祭神 | 惟仁親王・仁徳天皇 | |
摂社 ・ 末社 |
蛭子社・蔭山社・疫神社・蔵王社 稲荷社・春日社・山王社・梅宮社 神明社・鴨皇神社・貴船神社 | |
神徳 | 不明 |
由緒 | 正式には「八幡社」。天安元年、惟喬親王の願いに依り、八幡神と共に惟仁親王を勧請したことを創祀とする。長谷村・花園村・中村・三宅村の氏神として、また皇居から艮の方角に当り、国家鎮護の神社として祀られてきた。『山城名跡巡行誌』に「鳥居は西向、一ノ鳥居は人家の傍に在り、二ノ鳥居は社の前、又花園方に在り、拝殿社南向き、惟仁親王の観請と伝える」とある。元和年間に社殿が大破し、東福門院がそれを憂いて再興した建物が現在の社殿である。本殿正面には黒馬とそれをひく二人の人物を描いた慶長7年8月10日の銘をもつ扁額が掲げられている。 古来例祭日は8月15日で、丹波系猿楽が楽頭職を有し、猿楽・競馬・翁舞・神輿・鉾・獅子舞等が行われた。また、7月15日に風流踊りが行われる社として知られ、『北肉魚山行記』には「村中少婦、大なる灯籠を頭上に戴き、白き帷子に赤き裾を垂れ、八幡の神前にて踊躍す。太鼓鉦鼓等の拍子物あり。是を灯籠躍りと云う」とあり、『守貞漫稿』に「洛北花園村は7月16日の夜、里童等、頭に方二尺許の紙張灯籠の上に草木山水等の紙製の造り物を作り灯し戴き念仏を唱え踊る。是を花園灯篭踊と云う」とある。 |
人家の傍にある一ノ鳥居。 | ||
二ノ鳥居に続く参道。 | ||
ニノ鳥居。 | ||
うらぶれた水盤舎。水は出ない。 | ||
入母屋の舞台。 | ||
社務所・神輿庫。 | ||
庇部分が覆われている、三間社流造りの本殿。拝所が設けられ絵馬が掲げられている。 | ||
蛭子社。 | ||
蔭山神社。 | ||
左から、梅宮神社・鴨皇神社・蔵王社・疫神社・春日神社・山王神社・稲荷神社・神明社 | ||
本殿後方に祀られた石仏。「叡和講」「大峰修行供金坊建立記念」とある。 |
勝手にリンク | 神詣 | |
参考文献 | 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997 |
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