20061117 | |
曼殊院天満宮 |
住所 | 京都市左京区一乗寺竹ノ内町 | |
祭神 | 菅原道真 | |
摂社 ・ 末社 |
弁天堂 辨財天 | |
神徳 | 不明 |
由緒 | 延暦の年、最澄が鎮護国家の道場として比叡山に創建する。天暦の年、是算国師のとき比叡山西塔北渓に移り「東尾坊」と号した。寛弘元年10月、北野天満宮を造営する際、是算国師が菅原氏の出生であったことから一条天皇より北野別当職に命ぜられた。爾来、明治の年まで曼殊院住職が別当職を歴任することになった。天仁の年、8代忠尋大僧正が寺号を曼殊院と改め、明暦2年、曼殊院29代良尚新王が曼殊院を一乗寺の地に移転した。萬治3年、裏山天満宮を遷座し、弁天堂とともに鎮守堂とした。弁天堂は叡山無動辨財天の前立で、比叡山までの体力がない者は曼殊院前の弁天堂を拝して帰宅したと云われる。 |
曼殊院の南側から参道が続く。 | ||
曼殊院の門前に広がる幽玄な庭。 | ||
天満宮・弁天堂は池中の小島にあり、石橋で渡る。 | 境内には茶屋が出ており、風情をかき乱す。 | |
一段下がって手水鉢。 | 朱塗り春日造の天満宮。曼殊院のなかで一番古い建物とされる。 | |
大きな唐破風がついた弁天堂。敷地の上では天満宮より、弁天堂が主になっている。 | 歎美な池の廻りには紅葉などの落葉広葉樹が多く植えられ、それはそれは美しい趣きである。 | |
曼殊院の石垣と塀。塀内に伸びる五本の白線は門跡寺院の証。 | 曼殊院勅使門。 |
勝手にリンク | 曼殊院 | |
参考文献 | なし |
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