20090906 | |
首塚大明神 |
住所 | 京都市西京区大枝沓掛町 | |
祭神 | 酒呑童子 | |
摂社 ・ 末社 |
なし | |
神徳 | 首から上の病気に霊験がある。 |
由緒 | 創祀は不明。平安時代初期、丹波国大江山に酒呑童子という鬼が住み、都を荒らしまわっていた。時の帝は源頼光に酒呑童子の征伐を命じられた。頼光は勅命を受けると、渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓氷貞光の四天王及び、藤原保昌と共に出立することにした。途中、石清水・住吉・熊野に参篭し、化身から神便鬼毒酒という酒と星甲を貰い受けた。 頼光等は酒呑童子の館に潜入すると、神便鬼毒酒を酒呑童子に飲まし、酔ったところを首を打ち落とした。首は空中に舞い上がり、鬼の口をあけて襲い掛かるが、星甲に阻まれて息絶えた。 酒呑童子の首を持ち帰ろうと老ノ坂峠まで来たところ、首が急に重くなり、峠に首を埋め、首塚を作ったとされる。また、老ノ坂峠の子安地蔵が、鬼の首のような不浄なものを都に持ち込んではならないとして、山城丹波国境のこの地に首を埋めたという説もある。 祭事は亀岡市篠町王子の住民が執り行っており、昭和59年、宗教法人首塚大明神になっている。 |
老ノ坂隧道東口から南へ急坂を登ると、老ノ坂の集落がある。その京都方に首塚大明神の小祠がある。 | ||
もともとは円墳であり、参道は木の根道を登っていく。 | ||
頂上は開けており巨木が並び立つ。 | ||
本殿。 | ||
「從是東山城國」の道標。 |
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参考文献 | なし |
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