20070610
改定 20110424
金毘羅大権現
住所 京都市左京区静市静原町
祭神 大己貴神・崇徳上皇・金毘羅神
摂社

末社
なし
神徳 不明
由緒  創祀は仁和元年。崇徳天皇は保元の乱において弟である後白河天皇と対立し、敗北する。その後、天皇は四国讃岐の安住所に流され、日夜都へ帰れるように熱願していた。しかしその願い叶えられず、長寛2年、讃岐の地で崇徳天皇は崩御した。
 崇徳天皇の女御であった兵衛佐局は、天皇の遺命を受け、都に近い地に霊魂を鎮めることとし、江文寺をその地に選び、都が見える金毘羅山の山頂に斎祀した。
 その後、局は寂光院において出家し、建礼門院や阿波内侍と共に常に江文寺に参詣していたと伝わる。
 江文峠の北向きに金毘羅大権現への山道がある。
 中腹にある琴平新宮社。江文寺の跡地に立つ。
 新宮社の社務所。
 新宮社の拝殿。
 新宮社本殿。
 山頂直下にある金毘羅大権現への参道。
 金毘羅大権現の銘が入った水盤。
 金毘羅大権現社。
 金毘羅大権現からの眺め。
 眼下に京都の街並みが見える。
 山頂にある三壷大神。
 かつて火壷・風壷・雨壷という石壷があり、旱魃の時に降雨祈願をしたと伝わる。
勝手にリンク 京都鴨川風光
参考文献 なし
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