20061012 改定 20070630 | |
深泥池貴舩神社 |
住所 | 京都市北区上賀茂深泥池町 | 祭神 | 高龗神 |
摂社 ・ 末社 |
秋葉神社・弁財天社・役行者 | |
神徳 | 豊作祈願・村内安全・除災招福 |
由緒 | 保元2年、鞍馬街道に六地蔵の一つである御菩薩池地蔵が祀られ、室町時代には関所が置かれていた。深泥池貴舩神社の祭神高龗神は、雨水を司る龍神であり、鞍馬山麓の貴船に鎮座する貴船神社から、深泥池の農民によって勧請したものである。貴船神社は、平安遷都より賀茂川の水源にあたり、川上神と水を司る高龗神を祭神とし、洛中からの参詣が絶えなかった。しかし、本宮への参詣には遠く、寛文年間の10月23日に分霊が行われ、鞍馬街道筋の当地に鎮座された。 昔、深泥池は七つ森七軒村といわれ、一番森を消し山と称し、火伏の秋葉神社が1200年前から祀られていた。明治の廃仏毀釈令により、神仏混交を因とし、賀茂社の社家によって打ち壊された。翌年3月、修復を怠った村に大火が発生し、家財農具一切が焼失した。失意の村人が焼跡を整理していると、どの家でも、漬物桶だけが焼けながら中身が残っていた。疲労と空腹に耐えていた村人たちがその漬物桶をあけると、いい具合に火が入っており、良い匂いがする。村の長が一本試食をしたところ、「酸い茎や」と言ったとされ、「すぐき」の発祥になった。火の神である秋葉神社が村人に罰を与えるとともに反省を求め、生命の根源である酵素の漬物を恵み与えたのである。 (参考:駒札/深泥池貴舩神社奉賛会・駒札/柴垣光男)
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旧鞍馬街道に面し、東側に深泥池を臨む。 | ||
境内入口の鳥居。 | ||
枯れた水盤舎。 | ||
舞拝殿を強引に割ったような、入母屋妻入りの割拝殿と、その先に見える本殿。 | ||
流造の本殿と覆屋。 | ||
本殿北側の弁財天社。 | ||
境内山手の秋葉神社。 | ||
弁財天社の西側にある役行者像。 | ||
ちから石。 |
リンク | 貴船神社 深泥池水生生物研究会 上賀茂探検クラブ | |
参考文献 | なし |
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