20070603
改定 20100117
神田神宮
住所 京都市下京区新釜座町
祭神 平将門
摂社

末社
なし
神徳 不明
由緒  平将門を供養するため、空也上人が新釜座町に建てた道場を創祀とする。平将門は、朝廷に反逆した罪に問われ、下総の岩井で藤原秀郷に討たれて敗死する。天慶3年、首級は京へ持ち帰られ、京都の町で晒された。『太平記』によれば、将門の首は獄門にされ、三月が過ぎても色も変わらず、目も閉じず、常に牙をかんで、恨み言を繰り返してたとされる。将門は住民になにかと祟り、石碑を建てて祀っても何度も壊れてしまい、住民は困り果てた。空也上人が将門埋葬の地に供養道場を建て、毎日念仏をあげると、ある晩、突然首が笑いだし、白い光を放ちながら自らの胴体を求めて東の方向へ飛び去ったという。その後天変地異が相次ぎ、将門の霊を鎮めようと各地に首塚が築かれた。
 膏薬の図子を四条から下がった民家の戸口に神田神宮は祀られている。額には「史蹟 神田神宮 天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也」とある。
 2010年1月17日に確認。
 神田明神を祀った民家の張り出し部分が削除されている。
勝手にリンク なし
参考文献 なし
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