20120909 | |
城南宮 |
住所 | 京都市伏見区中島鳥羽離宮町 | |
祭神 | 国常立尊 八千矛神 息長帯日売命 配祀 天忍穗耳尊・彦火瓊瓊杵尊・別雷神 品陀和氣尊・大山咋神・天照大御神 久度神・宇氣毛智神・天兒屋命 | |
摂社 ・ 末社 |
境内摂社 三照宮社・真幡木神社・芹川神社 境内末社 稲荷社・厳島社・住吉社・兵主社 粟島社・天満宮社・妙見社 金刀比羅社・庚申社 大國主社・春日社 | |
神徳 | 方除け・交通安全 |
由緒 | 創祀は不明。神功皇后による三韓征伐の際、軍船に立てた御旗に八千矛神を添えてこの地にあった「真幡寸神社」に納められた事に由来する。御旗の日月星の紋章は城南宮三光の神紋になる。延暦13年、平安遷都にあたり国常立尊を合祀し、平安城の南方を守護する「城南神」と仰がれた。弘仁7年、宮社となる。 白河天皇が鳥羽離宮を造営してからは離宮の一部に取り入れられ、熊野詣の精進所や方違の宿所となり、方除けの神として信仰されるようになった。 承久の乱の際には、後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して乱を起こした。応仁の乱で荒廃したが、江戸期には復興し、享保6年、霊元上皇により風雨の難無きように御願あった。文久元年、皇女和宮下向の道中安泰の祈祷、文久3年、孝明天皇石清水行幸の途中に参拝があるなど、崇敬旧に復した。鳥羽伏見の戦いの時には、官軍の陣所となる。慶応4年、明治天皇大阪行幸の際に参拝があり、大正5年、貞明皇后が石清水への途次に神苑に休憩された。 明治10年、延喜式内社真幡寸神社と比定され、「真幡寸神社」に改称されたが、昭和40年、「城南宮」に復した。 |
東側参道入り口の鳥居。 | ||
国道一号に面する西側入り口の鳥居。 | ||
絵馬堂。 | ||
水盤舎。「菊水若水」と言い、万病に効く。 若狭遠敷川から二月堂若狭井へと繋がっているという伝説がある。 | ||
一の鳥居。 | ||
舞殿。 | ||
祈願所。 | ||
拝殿。 | ||
幣殿から本殿。 | ||
摂社「真幡寸神社」 | ||
摂社「芹川神社」 | ||
摂社「三照宮社」 | ||
本殿西側の末社。 | ||
本殿東側の末社。 |
勝手にリンク | 城南宮 | |
参考文献 | なし |
Home |