20080507
火除天満宮
住所 京都市下京区貞安前之町
祭神 菅原道真
摂社

末社
白太夫社・大国主社・大国主社
神徳 学問成就・火除けの神
由緒  創祀は天正7年。一人の老神官が九州での兵乱を避けるため、筑紫国太宰府から菅原道真の像を背負い入洛し、はじめに六条街に祀ったことを起こりとする。
 天正15年、正親町天皇の勅願により貞安上人が龍池の地に信長父子の菩提を弔うため大雲院が開創された時、鎮守社として迎えられた。秀吉の寺町政策により、大雲院は寺町四条下がるの地に移り、火除天満宮も現在地に遷座した。慶長2年、一社として建立され、遷座の祭儀が行われたと記録される。
 天明8年、四条大橋東詰の民家に発した火事は天明の大火と呼ばれ、鴨川を越えて飛び火し、北は鞍馬口、南は七條、西は千本、東は鴨川という広大な大火災となり、大雲院も焼失、火除天満宮も類焼する。
 元治元年、蛤御門の変では、南は七條、西は堀川、東は鴨川までが類焼したが、大雲院から南の一町ほどは類焼を免れた。大雲院を本陣としていた島津佐土原藩の防火活動や、風向きなどが偶然に重なって奇跡を起こしたとされる。明治に入り三度火災に見舞われたが、その類焼も免れている。
 神仏分離で大雲院は衝撃を受け、寺域の一部を割いて小学校を設立し、火除天満宮も大雲院から切り離された。昭和48年、四条寺町界隈において布教教化の地としては不適切との判断から、東山山麓真葛ヶ原の勝地に移転した。
 寺町四条下る東側、商業ビルの下に火除天満宮の参道が伸びる。
 他の寺社と違い、古然としたものでなく、洒落ていて新しい。
 梅の紋が入った水盤。未だこの辺りには京都の水脈が残る。
 ビルと駐車場に挟まれた細い道なのだが、所々に坪庭や橋が配置され、無機質な感じは無い。
 天滿宮廿五社第九番の石碑が建つ。
 末社三柱。
 拝殿前の水盤。
 拝殿拝所。
 本殿。
 高島屋駐車場から。
勝手にリンク 火除天満宮
参考文献 なし
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