20061009
改定 20070630
氷室神社
住所 京都市北区西賀茂西氷室町
祭神 稲置大山主神
摂社

末社
不明の末社が二柱
神徳 痘瘡の神
由緒  旧村社。山城愛宕郡にあった五箇所の氷室の一つ、栗栖野氷室近くに祀られた。成立年不詳。栗栖野氷室は「延喜式」主水司にみえ、当社は禁裏に供御する蔵氷にたずさわった清原家が勧請したと伝える。「山城名跡巡行志」「拾遺都名所図会」に載せられた境内図と現在の配置は一致する。拝殿は方一間、柿葺、正面に唐破風、両側面に千鳥破風、蟇股には桃山風の花鳥彫刻。寛永13年、御水尾天皇の二の宮が近衛尚嗣に降下した時に造営された御殿の鎮守の拝殿と伝える。『日本書紀』仁徳62年に氷室が文献による初見で、額田大中彦皇子が大和闘鶏に狩に出た際、山中で氷室を発見し、氷を天皇に献上したと記載されている。氷室の産土神で氏子八軒によって宮中に氷を献上した6月15日に例祭が行われる。
(参考:京都・山城寺院神社大辞典)
 
 京見峠から北にそれる山道の、その終点に氷室がある。下界に比べ、体感10度は低い。
 参道にある鳥居。気持ちのいい参道が山合を伸び、清水が足元をちろちろと流れる。
 拝殿。参道から。
 拝殿。山道から。千鳥破風と唐破風が見える。
 本殿覆屋。
 末社二柱覆屋。
 氷室跡地。いまはもう杉林に眠る小さなくぼ地に過ぎない。
リンク なし
参考文献 京都・山城寺院神社大辞典 平凡社 1997
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