20060902 | |
秋葉神社 |
住所 | 京都市北区大宮釈迦谷 | |
祭神 | 秋葉三尺坊大権現 | |
摂社 ・ 末社 |
なし | |
神徳 | 火除け・火伏せ |
由緒 | 創祀・由緒等は不明。 秋葉神社の創立は和同年間。『三代実録』によれば貞観2年5月に従五位下に昇叙された遠江国岐気火神は当社を指すとみられる。原始山岳信仰に端を発し、後に仏教と習合、修験霊場として発展した。剣難、火難、水難の守護神であり、民間信仰では、火伏せの神として有名 秋葉三尺坊大権現は信濃の人で、母が観音に念じて誕生し、6歳の時に出家、阿舎利となり、越後国古志郡蔵王堂十二坊の三尺坊の主となる。不動三昧の法を修め、七日満願の朝、焼香の火焔のなかに鳥の如く両翼を生じ、左右の手に剣と索を持つ形相を感得し、一法を編み出し、自ら本尊たらんことを思い、思惟すると煩悩生死の業が滅尽して、飛行神通自在となり、一匹の白狐にまたがり、飛行して南下、遠州秋葉山に止まった。ときに空中に声があり、「種々形をもって諸国土を遍歴、衆生済度する」という唱えごとが聞こえたという。 秋葉三尺坊大権現の配祀は、大同4年とも永仁2年8月とも言われている。再び永享年間に三尺坊が尾張に姿を現し円通寺の大明和尚のおもとで参禅、鎮防火燭の秘法を感得し、火伏せの信仰が高まった。大登山秋葉寺が創建され、代々の住僧が別当になった。室町時代に、加納房森林光播という山伏が可睡斎秋葉寺に住職として着任し、曹洞宗に改宗して再興した。享保8年後西天皇宸筆の「正一位秋葉大権現」なる勅額を賜った。 江戸期には庶民に火難避けの神として深く根付き、秋葉山三尺坊大権現を勧進することが各地で流行した。順送りに祭祀され、江戸まで伝播されようとしたが、幕府は貞享2年に禁令を発した。しかし、関東地方に「秋葉神社」の名称を持つ神社が多くあり、秋葉山や秋葉権現と刻まれた石碑が数多くあることから、禁令で信仰を抑えることはできなかったとみられる。 明治の神仏分離令により、秋葉山秋葉寺は解体し、三尺坊大権現は袋井の可睡斎に移り、秋葉山は秋葉神社だけとなった。 (参考:日本の神様読み解き事典・神社事典)
|
釈迦谷の一番奥まったところにある。
左に行けば、京見峠。右に行けば、氷室。 年中薄暗く、じめじめしており、目に見えない何かを感じるにはいい場所。 事実、数棟のバラックが建てられており、現在でも修験者の方が修行されている。 |
|
苔むした階段と色褪せた鳥居。今にも倒れそうな柱と錆びた手すり。 | |
階段を登りきった所には、板を雑多に集めただけのような粗末な本殿。 その上には厳然たる岩山が覆っている。 | |
本殿の中には小さな祠があり、みかんが供えられている。 左手には「秋葉神社修行場開祖 太田春弘先生の霊位」とある。 | |
割れた陶器の狐と、石造りの狐。 |
リンク | なし |
参考文献 | 日本の神様読み解き事典 柏書房 1999 神社事典 東京堂出版 1997 |
Home |