20081004
竹中稲荷社
住所 京都市左京区吉田神楽岡町
祭神 宇賀御魂神・猿田彦神・天鈿女神
摂社

末社
天満宮・稲荷小社・お塚多数
神徳 不明
由緒  創祀は不明。古記に「在原業平の居を神楽岡稲荷神社の傍らに卜す」とあり、天長年間には社殿があったことが伝わる。
 天保11年に信徒の寄付で社殿が造営されたと記録され、「京師の幾萬の子女が郡詣し、昼夜の別なく満山に踊躍す。是を蝶々踊と云い、其の後数千の鳥居が参道に樹立し、雨雪の為に傘を要せず」とある。現在も竹中稲荷講社が組織され、多数の崇敬者が講員に加入している。
 天満宮社は、地福院に祀られていたのを嘉永5年、現地に遷座。稲荷社・天満宮社ともに、明治5年に末社に定められている。
 神楽岡の頂の東側、和琴坂のその先に竹中稲荷社がある。
 北へ向かう参道。往時は数千の鳥居が樹立したという。
 境内。手前には社務所。
 拝殿。
 拝所。
 本殿。
 本殿に並ぶ、天満宮社。
 お塚。
 お塚。東を見れば大文字が間近に見える。
 本殿裏のお塚群。「竹○神社」という名が多い。
 昼尚薄暗く、真夜中なれば何者かが出てきそう。
 これらのお塚は明治初期の神葬の跡で、土葬であったらしい。
 薬力大神。
 奥ノ院 竹釼稲荷神社。
 お塚群に紛れて「業平塚」がある。業平は大原野の十輪寺で往生するが、吉田山の奥に葬るように遺言を残した。『暁筆記』には「東山の吉田の奥に納めて廟を作る」と記される。
勝手にリンク 吉田神社
参考文献 なし
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