20070121
改定 20080420
霊光殿天満宮
住所 京都市上京区徳大寺殿町
祭神 菅原道真・徳川家康
摂社

末社
老松神社
 菅原定義・度會春彦・倉稻魂命
神徳 必勝祈願・国家鎮護
由緒  寛仁2年の創祀。後一条天皇の勅命により菅原道真の六世の孫である菅原定義もしくは義郷が、菅原氏の領地であった河内国若江郡の霊蹟に神殿を建てたことを始まりとする。後一条天皇により「霊光殿」の勅額と神嶺3ヶ庄が下賜され、その後京都へ遷座している。
 社名の「霊光殿」とは、昌泰4年、道真が大宰府へ左遷される際に若江の地に立ち寄り、にわかに天から一条の霊光が差し込み、天一神と帝釈天が降臨して「菅公、汝に罪はあらず。不遇すれど落胆せず。3年後に汝天に召し上げ、汝の敵を滅ぼすべし」とのお告げがあった所以とされる。
 弘安4年、元寇の際、後宇多天皇が霊光殿天満宮で夷賊退治の祈祷を行わせたところ敵船が嵐で壊滅し、『天下無敵必勝利運』の宸翰の額を天皇より賜った。応仁の乱の際、社殿が荒廃し、社領を失い、東寺境内に遷座した。
 元亀元年、徳川家康が参拝し、鎧剣を奉納して天下泰平の願文を納めた。元和2年、家康は跡が途絶えていた祠官の若江家を再興し、塔之段に社殿を再建した。寛永13年、徳川家光は仙洞御所にあった家康の像を移し、祭神とする。宝暦11年、現在地に鎮座する。
 天保11年、安政4年と火災のたびに禁中より援助で社殿を再建、禁祀御祈祷所と定められる。現在の社殿は明治5年、近衛家の旧鎮守社を移築したものである。
 新町通を今出川から下がったところ、住宅街の真ん中に霊光殿天満宮がある。
 水盤舎。
 拝殿。
 北側から本殿と拝所。
 南側から本殿と拝所。
 老松神社。
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神詣
神戸の空の下で
参考文献 なし
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