20130210
大酒神社
住所 京都市右京区太秦東蜂岡町
祭神 秦始皇帝・弓月王・秦酒公

相殿
 兄媛命・弟媛命(呉服女・漢織女)
摂社

末社
なし
神徳 災難除け、悪疫退散
由緒  創祀は不明。一説には、仲哀天皇8年、始皇帝14世の子孫である功満王が、始皇帝の神霊を勧請したとされ、王が兵乱を避けて日本に来た謂れから、「大避」と称したと伝わる。「延喜式神名帳」葛野郡の項にも大酒神社(元名、大避神社)とあり、当時から社名の由来として伝わっている。弓月王は功満王の子で、応神天皇14年、百済より民衆を連れて帰化し、金銀玉帛などの宝物を献上したと伝わる。秦酒公は弓月王の孫であり、秦氏を率いて織物を織り、絹綾錦を献上した。絹布は堆く積み上げられ、秦酒公は禹豆麻佐(うずまさ)の姓を賜った。その後、大陸の文化を広めた功績により、弓月王と秦酒公を併せて3柱となった。「大酒」の社名は、秦酒公を祀ったため「大避」から改めたと伝わる。
 呉服・漢織の神霊が神社の側に祀られていたが、明暦年中に破壊され、合祀された。
 広隆寺がこの地に建立された後は広隆寺の鎮守社となり、桂宮院の境内に祀られた。明治の神仏分離令に依り、現地に遷座した。
 広隆寺で10月10日に行われている京都3大奇祭の「牛祭」はもともと大酒神社の祭礼であった。牛に乗った摩咤羅神が4匹の鬼を従えて境内で祭文を読み悪疫退散を祈願する祭りである。
 映画村の南側、府道131号に沿って大酒神社がある。
 境内は東西に長く伸びる。
 水盤舎。
 本殿。
 流造の本殿には基本の美しさがある。
 南面に「太秦大明神 呉織女 漢織女」、東面に「蠶養機織管絋樂舞之祖神」と彫られている。
勝手にリンク なし
参考文献 なし
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