20080406
小野源太夫社
住所 京都市左京区大原戸寺町
祭神 猿田彦命
摂社

末社
なし
神徳 不明
由緒  創祀は不明。由来には二説ある。源頼朝が松田源太夫という御家人を遣わせ、寂光院に隠棲していた健礼門院の動静を監視させたという屋敷跡という説。大原川の女郎ヶ淵に身を投げた「おつう」という女性が蛇身となって川を下り、若狭の領主の行列を待ち伏せして妨害したので、松田源太夫という侍が退治したという説がある。この小野源太夫社のある場所は大原の入口にあたり、「花尻」「波那志里」「花散」の森と呼ばれ、江文神社、梅宮神社のお旅所になっている。

おつうの伝説
 「むかし、大原の里に、おつうという娘が住んでいた。ある日、上洛の若狭の殿さまの目にふれて、おつうは、若狭に玉の輿に。夢ごこちの毎日を過ごしていたが、おつうが病になると、殿さまの心も変わって、おつうは大原の里に戻されてしまった。」
 「おつうは悲しみのあまり、大原川の女郎ヶ淵に身を投げた。するとその美しい姿は大蛇に変わり、都入りする若狭の殿さまの行列を大原の花尻橋で襲った。あばれ狂う大蛇は、松田源太夫という侍により一刀のもとに切り捨てられた。」
 「しかし、大原の里はその夜から激しい雷雨や悲鳴に見舞われ、恐れおののいた里人たちは、大蛇の頭を乙が森に埋め、尻尾を花尻の森に埋めて霊を鎮めた。今でも、大原の里にかかる朝もやは、大蛇の姿に棚引き、乙が森では、おつうの鎮魂の行事を残す。」
 大原の入口、花尻橋の北詰に花尻の森が広がる。
 大樹に守られる本殿。
勝手にリンク 京都大原観光保勝会
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参考文献 なし
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