20071007
大石神社
住所 京都市山科区西野山桜ノ馬場町
祭神 大石内蔵助良雄
摂社

末社
義人社:天野屋利兵衛
神徳 大石神社:大願成就

義人社:商売繁盛
由緒  創祀は昭和10年、吉田大和之丞(奈良丸)により、赤穂浪士大石内蔵助良雄の義挙を顕彰するため、京都府知事を会長とする大石神社建設会、山科義士会などの団体が組織され、全国の崇敬者により創建された。
 元禄14年3月、赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城内松の廊下において、吉良上野介義央に対し刃傷におよび、内匠頭は即日切腹、御家断絶、領地没収となり、赤穂藩の城代家老大石内蔵助良雄は城明け渡しの後、同年6月28日、親類の進藤源四郎の世話でこの地に移った。閑静で人目につきにくく、かつ交通に便利で、事件の善後策を講じるのに何かと便利であり、この地でしばしば同志の会合を開いた。また、敵の目を欺くため、伏見撞木町、祇園一力亭などで遊興にふけった。はじめは、はやる同志をおさえて、亡主内匠頭の弟大学長広をたてて主家の再興を謀った。しかし、元禄15年夏、結局再興は許されず、吉良邸討入りに方針を固め、同志は密かに江戸へあつまった。
 元禄15年12月14日、大石内蔵助良雄以下四十七士は吉良邸を固め、表門には、大石内蔵助を頭として片岡源五右衛門ら24名、裏門からは、大石主税を頭とし堀部安兵衛ら23名、両門より襲撃し、6時頃本懐を遂げる。その後四十七士は、泉岳寺の長矩の墓前に、その御首を捧げ復讐の報告をする。元禄16年2月4日、細川・松平・毛利・水野四候家にて切腹するに及ぶ。
 摂社:義人社に祀られている天野屋利兵衛は、大阪の本町橋に店をかまえ、北組惣年寄でもある大阪の豪商で、赤穂義士討入りに際し、必要な武器を調達し、「商売の神様」 と言われる。「天野屋利兵衛は、男でござる。」 の名ゼリフは有名。
 山科盆地の西方、稲荷山のふもとに大石神社の境内が東面する。
 水盤舎。
 社務所と宝物殿。
 宝物殿から拝殿を見る。
 拝所、桜門。
 流造と神明造の相の子のような本殿。
 天野屋利兵衛を祀る、義人社。
 神池と石橋。
 石碑。
 神馬。
勝手にリンク 大石神社
参考文献 なし
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