20090115
若王子神社
住所 京都市左京区若王子町
祭神 国常立神・伊邪那岐神
伊邪那美神・天照大神
摂社

末社
夷川社・三解社・山神社・本間龍神
滝宮社・福壽稲荷神社
神徳 夷川社:商売繁盛
由緒  永暦元年の創祀。後白河法皇が熊野那智権現をこの地に勧請した。社名は天照大神の別号「若一王子」に因み、正式には「熊野若王子神社」と号す。『元享釈書』では禅林寺の鎮守社とも伝わり、禅林寺今熊野社ともよばれ、神仏混淆から「若王寺」とも記された。
 治承2年、中宮徳子が安産祈願をした神社41ヶ所の内「白川熊野」として記されている。中世では武家の崇敬篤く、治承4年に源頼朝から所願成就の祈願が出されている。また康永4年には足利尊氏が淡路国由良荘を寄進、足利義満は明徳3年に備中国万寿三ヶ荘の下司職、応永7年には摂津国兵庫下荘を安堵している。
 室町期には花の名所として知られ、寛正6年、足利義政により花見の宴が催された。応仁の乱により社殿は荒廃したが、 豊臣秀吉により山城国吉祥院、西院、岩倉長谷が朱印地として寄進され、今川氏真の子若王寺僧正澄存により再興された。
 江戸期には聖護院門跡院家として「正東山若王子乗々院」と号し、寺領75石を得た。また全国の具足商人の崇敬を集めた。昭和54年、本宮・新宮・那智・若宮の四棟からなっていた本殿を一社相殿に改築した。
 哲学の道の南端から東山山麓へ向かうと若王子神社がある。。
 参道に掛かる石橋。
 水盤舎。
 拝殿。
 夷川社。恵比須神像は木造寄木造り等身大の坐像。
 『京町鑑』によれば、
 「往古西洞院中御門に北山の伏流が現れ、またこの辺りに蛭子社があり、恵比須川と号した。
 その後人家が建って通りの名とする。応仁の乱で蛭子社は亡滅し、川も埋もれたが蛭子の神像は不思議と残った」
 とあり、その神像がここに祀られていると伝わる。
 若王子神社を東へ、住宅と崖の間の細道を進む三解社への参道。
 三解社。背後に如意輪の滝。
 若王子神社を東へ、登る道の途上にある。
 さらに登った南側の平場。右に本間龍神、左に山神社。
 滝宮社へはさらに登る。
 滝宮社。背後より参道が伸びている。
 滝宮社南側の祭神不明の末社。
 猪除けの柵を越えてさらに登る。
 福壽稲荷神社。
 最奥に千手滝不動尊。鳥居上に千手滝が写る。
勝手にリンク 神詣
参考文献 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997
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