20071021
梨木神社
住所 京都市上京区染殿町
祭神 三條実萬

三條実美
摂社

末社
なし
神徳 不明
由緒  創祀は明治18年。三條実萬は菅原道真の生まれかわりと崇められ、人々から「今天神」と尊称される才識兼備であった。光格・仁孝・孝明天皇に仕え、王政復古を唱えた。嘉永元年、武家伝奏、安政4年、内大臣となり、将軍継嗣問題や開国問題で幕府と対立。安政の大獄の際に、幕府より圧迫を受けて一乗寺村に幽居の後、安政6年、58歳で薨去した。文久2年、右大臣を贈られ、明治2年、天皇より”忠成公”の諡を賜った。明治17年、久邇宮朝彦親王の発議により、三條家旧邸地である梨木町に社地を定め、明治18年建立された。
 三條実美は、父実萬の遺志を継ぎ、朝威回復・攘夷決行の急進派少壮公卿の中心人物として活躍した。明治2年、都が東京に移される時、京都御所を廃止しようとの朝議で、実美は「それでは市民が可愛いそうです。それによって京都はさびれます」と明治天皇に進言し、それにより京都御所廃止案は廃案となり、「国家の大礼は京都御所に於て行う」と定めらた。明治4年には太政大臣、明治18年に内大臣、明治24年に死去した。大正4年、大正天皇の即位式にあたり、第二座祭神として梨木神社に合祀された。
 境内にある染井の水は京都三名水(醒ヶ井 県井 染井)であり、現存する唯一の名水である。昔この地は「染殿」と称され、宮中御用の染所としてこの井戸を用いた。また、萩の名所としても有名で、境内一円数百株の萩が繁殖し、九月には可憐な花が咲き乱れている。祭礼には舞楽久米舞が奉納される。
 御所の東、清和院御門の外に梨木神社の境内がある。
 秋には萩が咲き乱れる境内参道。
 社務所。
 水盤舎。染井の水として水を汲みに来る人が後を絶たない。
 神門。
 舞台。
 拝殿。垣内に本殿。
勝手にリンク 梨木神社
玄松子の記憶
参考文献 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997
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