20070507
中川八幡宮社
住所 京都市北区中川北山町
祭神 応神天皇
摂社

末社
伊勢大神宮・春日神社
山の神々社・愛宕神社・石座
神徳 厄除け・開運・家内安全
交通安全・安産
由緒  創祀は不明。鎌倉期に鎮守の社として山の神々を祀ったとされる。その後、源氏の一族が定住し、中川八幡宮社を建立したものと伝える。寛文12年、明治27年と災火により本殿・古文書等を焼失したが、明治28年に再建された。明治14年に村社に公認され、大正12年には幣帛供進の指定村社に昇格している。
 中川は、承久元年の神護寺文書には「中河庄」、永禄12年の中川八幡宮の文書には「中河楽所」と表されている。清滝川が村の中央を流れていることから「中河」「中川」と称したとされる。中河荘は、最初仁和寺領であり、承久元年に高雄山神護寺領となる。その後、梅ヶ畑郷の一部とされ、梅ヶ畑供御人として諸役の免状を受けていた。天正元年の正親町天皇の綸旨により、「梅畑之内中河村供御人等」に対して、あらためて諸役が免除される。近世には梅ヶ畑槇尾山西明寺領になる。古くは「京道」によって京都と結ばれ、菩提の滝、坂尻峠、千束を経て、鷹ヶ峰へと通じており、中川村からは薪や柴や北山杉等を運び、京都からは、米等の食料品や衣料等が運ばれた。
(参考:駒札)
 中川の街道沿いに梯郭式の境内がある。
 切妻の水盤舎。
 境内中央の舞台。
 社務所。
 舞台の郭から一段上った本殿。
 拝所。
 本殿南側の春日神社。
 本殿北側の伊勢大神宮。
 境内南側にある山の神々社。鎌倉時代より林業発展、土地産業開発の鎮守社として祀られる。
 境内北側にある愛宕神社。大正12年の創祀。
 本殿南側の石座。昭和50年の建立。
 蔵。
リンク なし
参考文献 なし
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