20061009
改定 20070113
御蔭神社
住所 京都市左京区上高野東山
祭神 西殿
 賀茂建角身命

東殿
 玉依媛命
摂社

末社
なし
神徳 不明
由緒    賀茂御祖神社の境外摂社。賀茂御祖神社の祭神である賀茂建角身命と玉依媛命が賀茂別雷神を産んだ場所であると「山城風土記」に記されており、御生山とよばれ、東山三十六峰第二番目の山とされる。また、太陽の射す所、即ち御蔭山とも呼ばれ、社名の由来となった。
 天武天皇6年、山城国司が造営した賀茂神宮は当社であるという説がある。この地は山背北部豪族の祭祀の中心地であり、近隣には数々の遺跡が存在する。藤原実資の『小右記』に「鴨皇大御神、天降り給ふ。小野里、大原、御蔭山なり」とあるところから古くから「御蔭山」とよばれていた。ただ、『愛宕郡村志』には御蔭神社=小野神社も見え、真偽は明らかになっていない。
 現在の社殿は、元禄6年、御本宮式年遷宮の際に造替された。
 毎年、葵祭に先立って5月12日には、綏靖天皇の御世に始まる御生神事が行われる。当日は神馬に錦蓋を飾り、神鈴を付け、鉾・太刀・弓・楯などの御神宝を捧げ持ち、社殿には阿札を掛ける。数多くの供奉者は葵桂をかざし、本宮を進発した行粧は高野川原赤宮、一乗寺村、修学院村、高野村、などを通り、この社に到着する。社前において、牛の刻、御神霊は神馬に移御になり、御本宮に遷御になる。途中総社における路次祭、御本宮切芝の神事等が行われる。
 朝廷からは阿札料や幣が奉献されるなど、鴨社創祀の祭とされてきた。また、神馬の御神前で行われる神事芸能は我が国最古の祭り儀式を伝えるものとされ、行粧もまた最古の神事列と伝えられており、葵祭と並ぶ優雅な行粧として名高く、室町時代に入ると数々の資料に登場する。
 現今、道中は交通繁雑のため、やむなく自動車列となったが、当神社並びに御本宮糺の森での神事は、古儀に依って厳粛に行われている。
 上高野の集落を高野川沿いに上っていくと御蔭神社の参道がある。人通りのまばらな山道で、人より熊や蝮に出会う確率が高い。
 鳥居をくぐり参道をつらつら登っていった左側に二段構えの豪壮な高石垣がそそり立つ。入り口は枡形虎口のようになっており、砦としての機能を有していたのかもしれない。
 入母屋妻入りの拝殿。珍しい造り。まだ、建てられて日が浅いようだが軽薄な感覚はなく、しっかりとした風格が漂う。
 賀茂建角身命を祀る一間社流造の西殿。  垂木の端が太く簡素だが重厚に造られている。
 玉依媛命を祀る東殿。  西殿と同じ造りで、並んで南面している。
勝手にリンク 見当たらず
参考文献 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997
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