20140514
松尾大社
住所 京都市西京区嵐山宮町
祭神 大山咋神・市杵島姫神
摂社

末社
衣手社・一挙社・金刀比羅社・祖霊社・四大神社、三宮社、滝御前社
神徳 醸造祖神(酒・味噌・醤油・酢)
由緒  創祀は不明。古代、この地に住む民、松尾山大杉谷上部の磐座に山霊を祀った事が始まりと云われる。5〜6世紀、朝廷の招聘により秦氏が移り住むと、松尾山の神を氏神として仰ぎ開拓に従事した。伝説では「丹波国が湖であった昔、民の要望により大山咋神が保津峡を切り開いた。土を積んだ跡は亀山・嵐山になり、丹波国は浴野になり、山城国の荒野は潤った。」と伝わる。史実によると、秦氏が保津峡を開削して桂川に堤防を築き、「渡月橋」の上流に大きな堰を作った。堰より「一ノ井」「二ノ井」と称される水路を走らせて桂川両岸の荒野を開発したとされる。
 大宝元年、秦忌寸都理が勅命により、松尾山麓の現地に社殿を建立した。山上の磐座の神霊をこの社殿に移し、忌寸都理の女「知満留女」を斎女とした。延暦3年、桓武天皇は平安京に都を遷すと、賀茂社松尾社の両社を皇城鎮護の社とした。
 承和年間、仁明天皇により神階を従三位に進められた。仁寿2年、文徳天皇により正二位に進められた。貞観元年、清和天皇により正一位に進められた。「延喜式」では、大山咋神・市杵島姫神の両神とも名神大社に列し、二十二社の制度では第四位に記された。
 源頼朝により願文が奉じられ、足利義政、豊臣秀吉も進めを献じた。江戸期には朱印領1333石と嵐山山林1000町歩を有し、幕末には勅祭社に擬せられた。明治4年、全国四位の官幣大社に列し、昭和25年に「松尾大社」と称するようになった。
 室町以降、「日本第一酒造神」と仰がれたのは、秦氏の名に「酒」が付く人が多く、酒造が秦氏の特技とされたからと推察される。
(参考:松尾大社
 松尾橋の西詰、阪急松尾大社駅の先に松尾大社の大鳥居が聳える。
 二つ目の鳥居。
 境内入口の楼門。
 水盤舎。
 山と積まれた奉納された酒樽。
 境内中央の拝殿。
 拝所と透塀。
 拝所、中には本殿。
 本殿南側の四末社。
 祖霊社。
 奥から衣手社(羽山戸神)、一挙社(一挙神)、金刀比羅社(大物主神)。
 本殿北側の二末社。左が四大神社(春若年神・夏高津日神・秋比売神・冬年神)、右が三宮社(玉依姫命)
 本殿北西側、山道の先にある霊亀の滝と滝御前(罔象女神)。
 本殿北側の亀ノ井。
リンク 松尾大社
参考文献 なし
Home