20061109
久我神社
住所 京都市北区紫竹下竹殿町
祭神 賀茂建角身命
摂社

末社
なし
神徳 航空安全・交通安全
由緒  『延喜式』に載る愛宕郡「久我神社」とされる。賀茂別雷神社の第八摂社。『山城国風土記』逸文は、神武天皇の国内平定に際して先導を務めた建角身命が大和葛城から山代国岡田の賀茂に至り、最後に「座を久我国の北山基に定める。時にこれを従いて名を賀茂と曰く也」と記す。
 久我神社は賀茂氏が賀茂県主族の祖神として移住地に祀った神社で、伏見区に久我神社があり、岡田には岡田鴨神社がある。大和から南山城へ入った加茂氏が最初の拠点に祀ったのが岡田鴨神社で、木津川を北上し久我の地に進出した時に祀ったのが伏見の社であった。賀茂氏がさらに北上し、大宮のこの地に定着し地主神として祀られた。その後、賀茂別雷神社が発達するとともに平安後期には氏神社として賀茂別雷神社の摂社とされた。貞観元年正月に「久我神」が正六位から従五位下に加階されている。摂社とされてから氏神社と称されてきたが、明治5年には久我神社の名に復した。
 現在の本殿と拝殿は寛永5年のもので、本殿は一間社流造で賀茂別雷神社の各摂社と同じ造りであり、拝殿は左右に庇の付く切妻造妻入。
 この辺りを大宮森といい、境内には面影を残す巨樹が繁茂している。『雍州府誌』は賀茂齋院を説明して「古くは大宮の森西南に在り」と記し、『出来齋京土産』には「賀茂へ詣で行く道にて、都の西、大宮通は、此の社の筋也」と記される。
 現在では祭神が八咫烏となって神武東征の道案内をした事蹟により、航空・交通安全の守り神として広く信仰されている。
(参考:駒札/京都市・駒札/久我神社・京都山城寺院神社大事典)
 
 大宮通の北、大宮の森と俗称される地にある。
 境内南側に並んでいる水盤舎と社務所。
 切妻妻入の拝殿。幣殿。本殿。
 庇が付いた形がまるで鳥が羽を広げているように見える。
 一間社流造の本殿。重厚で優美な造り。提灯には双葉葵の神紋が入っている。
 樹齢600年と云われる、欅の大木。神木として注連縄が張られている。
 新大宮側の入り口参道。
リンク なし
参考文献 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997
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