20070705
北白川天神宮
住所 京都市左京区北白川仕伏町
祭神 少彦名命
摂社

末社
八幡宮・春日大明神・日吉社
天照社・加茂社・瑜宮稲荷社
神徳 病気平癒・健康長寿・福徳開運
由緒  創祀は不明。大国主命と力を合せて国土経営に尽くした医薬・酒造の神、少彦名命を祭神とする。延喜以前の鎮座と伝えられ、「天使大明神」と称し、白川村の産土神として久保田の森に祀られていた。延喜8年銘の黒鉾が伝えられており、御霊会に参加し宮中より拝領したものとされる。
 現在の千古山明神の森へは、東山山荘造営のために足利義政により遷座。寛文13年、照高院道晃法親王より「天神宮」の額を寄進され、「北白川天神宮」と称するようになる。文政13年、社殿を焼失。
 三組の氏子がそれぞれ一ノ鉾・二ノ鉾・三ノ鉾を祀り、宮座を組織した。祭りは「高盛御供」と言われ、主々の野菜や魚等を円錐形に積み上げた高盛を、地元の情勢が頭上に被き神前に奉納する豊作感謝神事で、盛相の基部に巻く藁を妊婦が腹部に巻くと安産すると伝えられ、藁の節により赤子の男女を占った。還幸祭は、39個の提灯を付け、篝火の中、133段の石段を担ぎ上げ、担ぎ下ろす勇壮な祭。
 また、白川の郷は、白川石と花の里で、男は石工になりその秀でた技術を神社前に残し、女は白川女として代々受け継ぐ地域へ花を届けている。宮廷や貴族の影響で、衣裳は白黒鮮やかかつ立体的で京女人風俗中、特に優れている。名水にも恵まれ、遠方より水汲みに訪れる人が多い。
 京から大津へ抜ける間道沿いに、北白川の集落がある。
 橋は白川を渡る石橋。
 植え込みの中を行く参道口。右手は社務所。
 階段下の水盤舎。今も水を組む人が絶えない。
 社務所前の石碑群と納札所。
 本殿へと上り詰める階段。
 階段途中にある白川石を称えるオブジェ。
 天を突くように本殿へ登っていく。
 水盤舎。
 倉庫。
 拝殿。
 拝所と奥に本殿。
 加茂社。
 天照社。
 八幡宮・春日大明神・日吉社。
 瑜宮稲荷社。
勝手にリンク 北白川ドットコム
神詣
参考文献 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997
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