20100719
市五郎大明神
住所 京都市中京区西ノ京原町
祭神 市五郎大明神
市助稲荷大明神
摂社

末社
祭神不明の末社・お塚多数
神徳 不明
由緒  明治23年の創祀。碑文によれば、岡崎に住んでいた「北村利幾子」が神託を受けて御土居の上に小祠を創建し、「市五郎大明神」を祀ったとされる。
 「御土居」とは、豊臣秀吉が京都を護る防塁・堤防として都の周囲に築いた土塁と堀で、その内側を洛中、外側を洛外と称した。江戸時代から今日に至るまで、京都の都市化と共に次々と取り壊され、現在では僅かに残るのみである。  大正13年、市立第一商業学校の移転の際に、御土居の土取が行われたが、神社付近に及んだ時に事故が相次いだ。そのため「祟り」を恐れて工事を中止し、神社のある御土居だけが残されたという話が残る。
 昭和5年、「市五郎大明神」のある御土居堀が国指定史跡として指定された。
 西大路御池の北東、住宅街にこんもりとした森が「市五郎大明神」の杜となる。
 細長く伸びた鳥居の参道をいく。
 薄暗くじめじめとした水盤。
 石段と住宅の小さな空地にたつ拝殿。
 拝殿・本殿は御土居西側の洛外に西向きに建つ。
 拝殿から本殿を見上げる。
 本殿の横から御土居上に上がる道。
 御土居東側の洛中には末社やお塚が多数祀られる。
勝手にリンク 京都を感じる日々
参考文献 御土居堀ものがたり 京都新聞出版センター 2005
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