20130210
福王寺神社
住所 京都市右京区宇多野福王子町
祭神 班子皇后
摂社

末社
夫荒神社
神徳 不明
由緒  創祀は不明。光孝天皇は、御室の地に仁和寺を建立しようと着手したが完成を見ずして崩御し、班子皇后・宇多天皇が継いで開山した。昌泰3年、班子皇后が崩御し、頭陀寺に葬られた。頭陀寺はこの地にあったとされ、仁和寺の鎮守神として班子皇后を祀る福王寺神社が造営され、仁和寺歴代法親王の厚い崇敬を受けた。
 応仁2年、戦乱により仁和寺と共に焼失し、以後は荒廃していた。寛永21年、徳川家光の寄進により、覚深法親王が仁和寺堂塔伽藍の再建と同時に福王寺神社も造営された。現在の社殿は寛永時のままであり、造営時の棟札が発見され、昭和48年に重要文化財に指定されている。
 秋の大祭には神輿巡行の際に仁和寺にて奉幣を受ける儀式が往時のままに行われており、現在も仁和寺との関わりをもつ。また、班子皇后の故地である中野村・常盤村・山越村・御室村・福王寺村・鳴滝村の産土神として崇敬され、庶民に愛された班子皇后と共に慕われている。
 末社「夫荒社」は、延喜12年、氷室から御所へ氷を献上する途上、役夫が疲労のため息絶えため、その霊を鎮めるために建立された。
 延喜式式内社「深川神社」に推定されているが、証明する史料は発見されていない。社名の「福王(フクオウ)」、末社の「夫荒(フコウ)」は「深川(フカカハ)」から転じたとする説があるが、祭神・由緒に接点がないことから、直接のかかわりはないと考える。
 福王寺の交差点、東北角に福王寺神社が鎮座。
 石段の上に境内が広がる。
 拝殿。
 水盤舎。
 拝所。
 本殿。
 社倉。
 末社、夫荒神社。
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参考文献 なし
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