20070505
原谷弁財天
住所 京都市北区大北山原谷乾町
祭神 弁財天
摂社

末社
白龍大神
神徳 不明
由緒  文治2年、壇の浦の戦いに破れた平家一門が、洛北の山中に落住するのを原谷の祖形とする。原谷に住居を定めた一族は、都が一望にできる長谷山頂上見張り番を立て、原谷を乾・巽・艮・坤の地区に分散し、坤の方向に弁財天、乾の頂上に八幡宮を祀った。弁財天・福徳八幡宮は、戦いの神として信仰され、不要になった武器を「八幡宮」裏山に納めたという。やがて住民は山を下り、明治の初期まで30人ほど住んでいたが、相ついで都周辺に下りた。神社の守りをすることができず、八幡宮はわら天神へ、弁財天は仁和寺へと遷座した。
 第二次大戦後、食糧増産緊急開拓の事業が始まり、原谷地区にも18世帯が入植し、村造りが始まった。先住者の守護神としていた弁財天を原谷に里帰りさせたいという住民たちの要望により、昭和26年、内田弥太郎氏宅まで出迎えた。昭和53年、社殿が落成し、原谷地域の氏神様として祀られるようになった。
(参考:駒札/原谷弁財天奉讃会)
 原谷集落の南西山際に原谷弁財天の簡素な境内が広がる。
 流造の本殿。覆屋か。
 本殿後方にあった白龍大神の末社。
リンク なし
参考文献 なし
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