20061022
改定 20070120
玄武神社
住所 京都市北区紫野雲林院町
祭神 惟喬親王
摂社

末社
三輪明神・玄武稲荷大明神
神徳 疫病除け
由緒  玄武は、青龍・白虎・朱雀とともに四神の一柱で、四神相応の地と言われた平安京の北方の鎮護神に由来する。文徳天皇の皇子である惟喬親王を祭神とし、別名惟喬社とも呼ばれている。
 元慶2年、外祖父にあたる紀名虎が所蔵していた親王寵愛の剣を、星野市正茂光が祀ったのが起こりといわれる。『京都府愛宕郡府誌』には「大宮村雲林院内、玄武神社、祭神惟喬親王、惟喬親王の遺物なる剣を紀名虎の祭れるなり」とある。星野茂光は大宮郷の郷士で、若宮八幡宮の神職であった。室町時代には七野神社の末社として存在したが、応仁の乱後七野神社が衰退し、玄武神社だけが残った。近代になると『山城名跡巡行誌』に「惟喬の祠、雲林院の南、今宮旅所の東にあり、鳥居、社南向」と記されるのが唯一である。
 寛文9年、疫病が流行し、大神神社の摂社である「狭井神社」に玄武神社において鎮花祭を行うよう勅命がおりた。毎年4月の第二日曜日に行われるこの行事は「玄武やすらい花」とも呼ばれ、桜や椿で飾られた風流傘を中心に鉦、太鼓、笛等で囃しながら、鬼や小鬼が付近一帯の氏子地域を踊り歩く。芸態の上では室町時代に流行した風流の拍子物の影響を受けて今日に伝承されているもので、芸能の変遷過程を示すものとして貴重な存在である。
(参考:京都山城寺院神社大事典)
 大徳寺の南東、裏路地を入ったところに玄武神社がある。本殿後方には工場があったのだが、新しくマンションが建った。
 猫避けか、ペットボトルが並べられている。
 鳥居左手の水盤舎。
 使い方の説明が描かれている。
 入母屋平入の拝殿。大きな唐向拝が軒を出している。
 拝殿右手に三輪明神と玄武稲荷大明神。
 本殿前に置かれている玄武の石像。
リンク なし
参考文献 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997
Home