20061204
綾戸國中神社
住所 京都市南区久世上久世町
祭神 綾戸社
 大綾津姫神・大直日神・神直日神

國中社
 素盞嗚命
摂社

末社
なし
神徳 不明
由緒  綾戸社
 継体15年創祀。天暦9年、綾戸社と改称。大堰川七瀬の祓神として大井社とも称す。延喜式「大井社」との関係は不詳。また、延喜式「茨田神社」に比定する説もある。暦応3年、上久世荘絵図に綾律大明神と見え、応永15年、上久世荘年貢算用状に「一斗綾戸宮御粽」とあり、綾戸社が上久世の鎮守としての位置を占めていたことが伺われる。社号の額は後冷泉天皇の震筆と伝えられている。

 國中社
 創祀は不明。延喜式「國中神社」に比定される。伝説では、神代の時代、山背國西岡訓世郷が一面湖水であったとき、午頭天王が天から降りて水を切り流し、国とするためその中心に符を遣わした。その符は、素戔鳴尊の愛馬である天幸駒の頭を自ら彫刻し、新羅に渡海の前に尊の形見として遣わしたとある。その形見が國中宮の御神体として祀られている。

 綾戸國中神社
 元は綾戸神社、國中神社の二社であったが、後に綾戸神社境内に國中神社が遷された。それ以降、二社の社殿が西向きに並んで鎮座していたが、昭和9年の室戸台風で倒壊、昭和11年に一つの社殿として南向きに再建された。向って左の扉に綾戸社、右の扉に國中社を祀る。昭和39年、境内が東海道新幹線建設の予定地になり、社殿を東に移転した。
 夏の祇園祭は、八坂神社の荒御魂と綾戸國中神社の和御魂が一体となって初めて行えるとされ、神幸には上久世の駒形稚児が参加する。駒形稚児とは、紙垂をつけた木製の駒頭を胸にした稚児で、駒頭は國中神社の御神体を模している。八坂神社の南大門を騎乗のまま境内に入り、拝殿まで進む破格の扱いを受ける。この駒頭は祇園祭第一の神宝であり、かつての祇園会が田楽であった遺風と考えられている。
 京都の西の入り口、久世橋の西方に綾戸國中神社の杜が広がる。鳥居は神明鳥居。
 銅版葺切妻造の水盤舎。
 入母屋造の拝殿。
 社務所。
 本殿壇上へ続く幣殿。綾戸社・國中社の扁額が掲げられる。
 一間社流造の本殿が南面する。左側に綾戸社。右側に國中社。
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参考文献 京都・山城寺院神社大事典 平凡社 1997
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